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  • 解釈が!言ノ葉の木 三部 について
    2018年8月18日

    太宰治 「葉桜と魔笛」これは8月26日のイベント  言ノ葉の木一部 与謝野晶子二部 宮澤賢治三部 太宰治の中の、三部の演目でございます。【おかげさまで、昼の部の前売り券は完売となり、200名のお席全てに、お客様がおいでになるということで、心持ちは、感謝とプレッシャーでいっぱいございます】朗読も音楽も仕上げ段階!きっと、、、きっと、私だけでなく各演者のみなさま試行錯誤 を繰り返していらっしゃることと思います朗読担当の私もいろいろ考えてはみるものの‥‥はぁ‥‥‥さて日頃 朗読サロン、朗読教室などでその人の朗読は、その人の解釈で、その物語を、そ人の感性に沿って、その人のいちばんその人らしい声で読んでください!!と生意気に言っています。自分のことを棚に上げて!!!!!!ほんま偉そうに!よーゆうわですよ、本当に(すみませんー)みなさんも、一度は苦しい思いをされて、自分がしっくりくる読み方を見つけられるところを、何度もお見受けしております。苦しい思い‥‥みなさん、いつもこんなに苦しい思いをして朗読、生んでらしたのですね!と、つくづく感心しながら、やはり苦しい毎日を送っている、、、ワタクシでございます。前置きが長くなりすみません。この 葉桜と魔笛 という作品を7人で表現するにあたり、脚本担当の平田さんはいろいろ考えに考えたすえ、今回のための、脚色を考えられました。演者は、やはりその意図に寄り添いたい一心で、曲を改めたり、読みかたを考えたり、稽古を重ねております。演者である、七條(7人だからのグループ名、しちじょう と読みます)の目指す表現の仕方は、物語の色合い登場人物の感情情景を音楽で表すということ。朗読はもちろんそれに合わさないといけない(合わすということは、感情を入れすぎて抑揚をつけすぎてもいけない、淡々すぎてもいけない)つまり 解釈はみんな同じでないといけない。?!のか?!というとこれが、そうでもなく結局それぞれの解釈が相まって、仕上がってきているように思えます。そしてそれが、おしまい、ひとつの大きなテーマ、「不思議さ」 へのゴールに近づいているのか、、、と感じています。はてさて、表題の 「解釈が!」なのですがこの作品の解釈は、人それぞれとはいえ、ワタクシ、どうしてこんなにひねくれているのか、、、笑笑!  とか、笑えるものではなくてなんでそうとるの?もしや 辻 、、極悪非道、、、というくらい、むやみに憎悪を感じたり姉に傲慢さを感じすぎたり、妹に意地悪さを感じすぎたり愛情か、、、姉妹の愛だ?そんなの計り知れないさとかそれなりに苦しみました。(そんな大層なことではないのですよ、ほんと、それなりに、、です)子供の頃からそういうところがあって、というのは、国語の授業は好きでしたが、国語の問題の答えがみんなと違う、、、ということがよくありました。私がこう思うんだから、反対だろう、、と予測して答えることもあったり。そうか、これが        普通      ??なのか。まさに、今回その状態になりました。しかし、落ち着きました。みなさんと解釈を共有していくうちに、というのはもちろんありますがなんども声に出すうちに、解釈とは違う何かが芽生え、結局は言葉そのもの力に助けられるのです。こう書いてあるのだから、そのまま読めば良いそう思えたときに、解釈を合わす ということもこう読まなければいけない ということも上手いとか下手くそとか ということも忘れて読める。のかも!?あくまでも、「かも?!」ですがかも、を、発見したということで落ち着きました。一応自分の持つ頭、限りある思考ではありますが、あれこれ考えたからでしょうね8月26日 言ノ葉の木この日は書いてあることを、そのまま読む 朗読をご披露できたら、と思っています。仕上がり具合は順調です。おこしくださる皆さまは、聞く耳が長けてらっしゃる方が多いことと存じます。どうかよろしくお願いいたします。(何を、、、?笑) …